やはり、動画が主流になって行くんでしょうね。

以前、行った「ブログと動画」で、こちらのサイトが近々リリースと聞いていました。
動画ブログ・トーキョードリフト
ビデオブログ・トーキョードリフト、正式版スタートです
いろいろなタイミングが重なって、ついにビデオブログ・トーキョードリフトが末広がりの8の日に正式にスタートです。とりあえず、一発目のエントリーは私(いしたに)が書かせていただいてます。
って、結構前にリリースされていました。。
と、やっぱり、テキストよりも写真よりも、情報の伝達量?が違います。って、テキストと動画の情報量って、実際の所どうなんだろう。。
Wikiで見てみると。
情報量(じょうほうりょう、エントロピーとも)は、情報理論の概念で、あるできごと(事象)が起きた際、それがどれほど起こりにくいかを表す尺度である。頻繁に起こるできごと(たとえば「犬が人を噛む」)が起こったことを知ってもそれはたいした「情報」にはならないが、逆に滅多に起こらないできごと(たとえば「人が犬を噛む」)が起これば、それはより多くの「情報」を含んでいると考えられる。情報量はそのできごとがどれだけの情報をもっているかの尺度であるともみなすことができる。
うーん、ってことは、同じ事象なら、メディアがテキストでも動画でも同じ情報量ってことですかね。なんだか、この情報量で考えていても埒があかない気がしてきました。
やっぱり「分かりやすさ」で考えた方が良さそう。これなら、明らかに動画に軍配が上がる。。って、いや、なんだか、一概にそうとも言えない気が。だって、専門書とか読んで勉強した方が良い場合もあるし。なんだか、その伝える内容にもよりけりな気が。
- スポーツのフォームとかだと、字面で説明されるよりも動画の方が良さそう。
- 体系的な学問の習得って考えると、本の方が良さそう。
- 物語、、これって、人にもよる気が。個人的には本のほうが好き。少数派?
- 料理、動画かな。
- 漫才、本ってのはあり得ないでしょう。
- ライブ、これも動画。
- ダンス、これも動画。
- ニュース、動画の方かな。新聞でじっくりってのもあるでしょうが。
うーーん、音が主体なものは動画、そりゃそうだ。音楽を字面で表現ってコト自体ね。でも、それ以外のものって、上のカテゴリだけでもくくれない気がします。だって、同一のカテゴリでも伝え方で一長一短出てきますし。ニュースなんて特にそんな気が。
と、ここまで書いて、「これって能動的か受動的かって違い?」と思ったり。昔、こんなこと書いていました。
ちょっと。
でも、違うのは、クレーム=不買活動(テレビを見ない)ってことにはなかなか繋がりにくいと言うこと。それは:
- 代替材が無い。あるいは少ない。
- 商品の様に能動的に購買するのではなく、放っておいても流れ続けるため、受動的に間接的に「購入」できてしまう。
- 「情報」と言う性質上、目に見えないので、その怒りは一時的な物になりがち。
- その「情報」自体、命を左右するほどのこともなく、それに裏切られた所で、死ぬ訳でもない。
あるある大辞典での話を聞いて、「テレビって受動的メディアだよなー」と思った訳で。動画って楽なんですよね。受け手にしてみれば、放っておいても情報が入ってくる訳で。逆に本は能動的に「読まない」と情報を取得できない。
でも、その違いって大きいと思います。だって、受動的な状態では複雑な情報を脳内で処理して、理解するってのは結構難しいですし。あ、もちろん、動画を能動的に見るってこともあり得ますよね。その場合は別で、情報の取得がしやすいってメリットにもなる。でも、テレビの場合、大抵は受動的な情報取得になっている気がします。本を受動的に読むってありえませんし。
と、僕はテレビ見なくなって久しいですけど、動画自体は今でも見ています。だから、動画否定は全然ないですけど、こちらで書かれているような、内容の低俗化、そして、視聴者の受動性の助長とかってのは嫌な風潮だなーとは思っているくらいですかね。
テレビ番組の低俗化に関する一考察
やっぱり、情報(知識)って「求めよ、さすれば与えられん」的なものであるべきだと思うのです。
あ、あと、ここまで動画が勃興してくると、「じゃ、この次は?」って思ったりもして。どうなるんだろう。。