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神楽坂

まだ2回しか行ってませんけど。

mixiのオフ会としてバー巡りがあったので参加してきました。

老若男女の混成メンバーでしたが、とっても楽しかったです。キックボクシングされている方がいらっしゃったり、大阪から単身赴任でいらっしゃってる方がいたり。

結果、三軒しか(も?)回れませんでしたが。これからも探索に行ってみようかなと、ますます、神楽坂熱が高まった結果となっています。

一軒目は「Banbina」。子鹿って意味でしたっけ?もっと他の意味も遭った気がしますが。
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地下に降りて行くと、そこはいい感じのバーです。奥まった個室でかんぱーい。と、8時スタートでしたが、それまで何も食べていなかったので、パスタやら、サラダやら。しかし、チーズ揚げがアジアンテイストでとても美味しかったです。あと、和風オムレツも。豆腐と塩辛が入っていました。

で、2軒目は「Woods」。ここもいい感じです。何よりも椅子とテーブルがおしゃれ。欲しくなりました。
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で、ここからちょっと単独行動に。はい、協調性ありません^^;

三軒目は「六角堂」。ここも当たりです。何が当たりって、ここで80年代のCutty Sarkに出会えたのですから。昔から好きなんです。しかも、ボトルの形状が今のと違う。ちょっとずんぐりむっくり。かわいいかも。
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そんなこんなな一夜でしたが、とても楽しかったです。って、やっぱりお酒は楽しく飲むものですよね。また、行こうっと。
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あ、少し神楽坂の歴史を調べてみました。

神楽坂花柳界の歴史

当時の神楽坂は、明暦3年(1657)の「振り袖火事」後、府内から移転してきた多くの武家屋敷ですでに坂の両側が埋めつくされおりました。また、江戸中期に毘沙門天善國寺が麹町から移転して以降は、江戸でも一、二を争う多くの参詣客が訪れ、特に、善國寺の縁日に加えて、同寺院境内にある出世稲荷も縁日を開くようになると、この両縁日、神楽坂はまさに“立錐の余地もない”ほどの大変な賑わいを見せたといいます。
 このように活況を呈していた神楽坂の行元寺境内(現在の神楽坂5丁目あたり)を発祥の地として、安政4年、花街が開かれたのです。


で、ここで「振り袖火事」も気になったので。

振り袖火事(明暦の大火)

明暦3年(1657年)本郷の本妙寺から出火、1月18日から20日にかけて江戸の大半を焼いた。焼失武家屋敷1200、寺社300、町屋120町 江戸城も西の丸を除き本丸、二の丸、三の丸、天守閣を焼失。死者108,000名の大火事。
施餓鬼の法会の時、形見の振り袖を焼いたが、強風に煽られ本堂の経文や障子などに燃え移り、江戸期で最大の大火となった。その振り袖のいきさつは.....

遠州屋彦右衛門の娘梅野は上野の花見で寺小姓を見初め、寺小姓が着ていた紫縮緬に菊を染めた振り袖を作って、夫婦遊びをした。がかなわぬ恋で恋煩いの末梅野は、亡くなってしまう。 哀れんだ両親は、菩提寺の本妙寺へおさめたが、和尚は無情に売り飛ばしてしまう。しかしその振り袖を着た娘が次々と病死。三度までも寺に寄進されてくる。執念の恐ろしさに施餓鬼の法会で燃やしたのが 火事の始まりだった。


はー、なるほど。
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お酒@2006/07/16 09:49   | 0 comments | 0 trackbacks |

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icot

Author:icot
総合電気メーカで働く会社員でしたがいい年にも関わらずコンサルに転職。お酒、ジョギング、音楽、本、料理をこよなく愛してます。ここでは、日々感じた事を書き連ねるとともに、いろいろ実験してみたりしてます。
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